<歌から元気をもらうって事はなんだろう>宮古島
2010年09月02日
若いミュージシャンはよくこんなことを言う、僕の歌でみんなを元気にしたい。
ライブ帰りの聴衆は、ミュージシャンから元気をもらった、って感激している人が多いからやっぱり歌は人に元気を与えるということは間違いないだろう。
ライブ会場ではミュージシャンが聴衆に向かって、もっと元気出していこうぜ、って叫んでギターをジャジャジャーンで鳴らすと、静かっだった聴衆は、イェーィ、なんて反応し会場全体が盛り上っていく。やがて絶叫の渦となり・・・元気をもらった、と感激の涙、そして家路につく。
それはそれで良い。心臓は高鳴り血圧はあがり、ライブを聞き終えた後の興奮と高揚感は肉体的にも元気をもらった状態になっている。我々の初代ロック世代なんかも歌詞なんかぜ~んぜん分からないで異様に感激興奮してたもんね。
もう一度言うがそれはそれで良い。気に食わないのは元気になると信じられている単語の羅列だ。愛してる、君しかいない、信じる心は一つ、永遠に、手をつなごう、笑ってごらん、・・・簡単に受け入れられそうだが・・・当方はこうした元気の出そうな単語の連発に嫌気がさしているのだ。
愛、信じる、という言葉を何の躊躇もなく大安売りでそこいら中にバラ撒いている、その台風の中心はどうやら米国ヤンキー文化にあると睨んでいる。ヤンキー文化の特質の一つはくっつくのも早いが離れるのも早いことにある。彼の国では初婚の離婚率は50%,二度目の離婚率は60%三度目は70%といわれている。4度の離婚暦を持つヘミングウェイは真剣に愛について考えたからこそこうなったと豪語している。これじゃよほど愛とか何とかの言葉を連発しなければ信用されまい。
周囲でも<愛、愛、愛>ってうるさく騒ぐ奴ほど、皆の羨望の的であった女性を、いつ何があったのか知らんが、彼女だと紹介し、周囲の男どもを絶望の淵に追い込み、そして呆れるほどアッケラカンに<バイバイ>って輩がウヨウヨいる、イヤァーたくさん見てきた。
愛はもちろ人間関係の肝の部分だよ。だけどその言葉を多発する人間はどうにも信用できない。だからその<愛>という言葉群を減らしてじっくりと深い<愛>を歌って欲しいものだ。そうした方が元気も出てくるとおもうけどなぁ。
ライブ帰りの聴衆は、ミュージシャンから元気をもらった、って感激している人が多いからやっぱり歌は人に元気を与えるということは間違いないだろう。
ライブ会場ではミュージシャンが聴衆に向かって、もっと元気出していこうぜ、って叫んでギターをジャジャジャーンで鳴らすと、静かっだった聴衆は、イェーィ、なんて反応し会場全体が盛り上っていく。やがて絶叫の渦となり・・・元気をもらった、と感激の涙、そして家路につく。
それはそれで良い。心臓は高鳴り血圧はあがり、ライブを聞き終えた後の興奮と高揚感は肉体的にも元気をもらった状態になっている。我々の初代ロック世代なんかも歌詞なんかぜ~んぜん分からないで異様に感激興奮してたもんね。
もう一度言うがそれはそれで良い。気に食わないのは元気になると信じられている単語の羅列だ。愛してる、君しかいない、信じる心は一つ、永遠に、手をつなごう、笑ってごらん、・・・簡単に受け入れられそうだが・・・当方はこうした元気の出そうな単語の連発に嫌気がさしているのだ。
愛、信じる、という言葉を何の躊躇もなく大安売りでそこいら中にバラ撒いている、その台風の中心はどうやら米国ヤンキー文化にあると睨んでいる。ヤンキー文化の特質の一つはくっつくのも早いが離れるのも早いことにある。彼の国では初婚の離婚率は50%,二度目の離婚率は60%三度目は70%といわれている。4度の離婚暦を持つヘミングウェイは真剣に愛について考えたからこそこうなったと豪語している。これじゃよほど愛とか何とかの言葉を連発しなければ信用されまい。
周囲でも<愛、愛、愛>ってうるさく騒ぐ奴ほど、皆の羨望の的であった女性を、いつ何があったのか知らんが、彼女だと紹介し、周囲の男どもを絶望の淵に追い込み、そして呆れるほどアッケラカンに<バイバイ>って輩がウヨウヨいる、イヤァーたくさん見てきた。
愛はもちろ人間関係の肝の部分だよ。だけどその言葉を多発する人間はどうにも信用できない。だからその<愛>という言葉群を減らしてじっくりと深い<愛>を歌って欲しいものだ。そうした方が元気も出てくるとおもうけどなぁ。
白いセリカ
2010年08月28日
たばこ屋の前で タバコに火をつけ
だれもこないのに 誰かまつように
時計屋の前で 時計を気にして
誰も来ないのに 誰かまつように
キレイな花嫁が風に抱かれて
白いセリカにのって 僕の前を通り過ぎてゆく
タバコ屋の前で タバコに火をつけ
誰もこないのに 誰かまつように
さみしい部屋で ひとり言つぶやき
誰もいないのに 誰かいるように
表の通りでは車の音や
学生たちの声が 楽しそうに過ぎてゆく
一人の部屋で ギターを弾きながら
誰も来ないのに 誰かまっている
<ぽーちゃたつや 郷土料理>宮古島
2010年08月27日
菊の露本店裏通りには実力のある地元料理店が並んでいる。懐石料理の<櫻亭>江戸前鮨の<浅草>郷土料理の<ぽーちゃたつや>どの店も地元が認める島を代表する名店である。
中でも<ぽーちゃたつや>さんの取り組んでいる地元食材の創作料理は観光客に絶大な人気がある。夏のシーズン中は連日満席で地元客がなかなか席を確保できない。写真のグルクンの開きも大将の手作りである。本土とは日差しの強さが違い干し加減が難しいらしい。忙しくても料理の工夫について質問されるのがよほど嬉しいらしく自分の考えをニコニコして喋ってくれるので客としては楽しい。
さてこの大将、外見からは想像しづらいが意外やロックやブルースが大好き人間なのである。だから調理中の大将に向かって間違ってもボブディランやブルーグラスの話を投げかけてはいけない。頭に血が上り普段は正確無比な包丁捌きが乱れてくるからだ。ロック音楽のルーツなどという話題は絶対に厳禁だ。とても頭の良い優しい人だがロック音楽の話に夢中になると我を忘れるクセがある。
火曜日の休日にたまたま大将とどこかの飲屋さんで出会っても音楽の話題は避けた方が無難だ。もっとも何時間もロックの歴史のレクチャーを聴く覚悟があるなら別だが・・・
<ホヌ家 カレー>宮古島
2010年08月26日
砂山ビーチのチョイ手前を左手の海側に曲がるとピンクの可愛らしい店舗がある。店内はハワイアンの雰囲気で統一している。海に面して大きな窓がありここから外を眺めながらゆったりとした贅沢な時間を過ごせる。
マンゴージェラードが美味しい。カレーも美味しかった。
<うぷんみ ハンバーガー>宮古島
2010年08月25日
パイナガマビーチから市内に上がる新しい道路沿いにオープンした清楚なお店。サンドウィッチがメインみたいだが他のメニューもいくつかある。とりあえず<うぷんみサンド>を注文しようとする、と、お薦めは更にアボガドとベーコンを乗せたものがあるそうだ。しかしそれでは今ですら過厚気味の<うぷんみサンド>の厚さが増すことになる。またベーコンによるカロリーアップも気になる。アボガドはハンバーグに合うのだろうか?さらに極厚ハンバーグを喰らう難儀さ等を色々考えた後で初志貫徹、シンプルに<うぷんみサンド>にした。それでもやっぱりというか写真の通りの厚みである。
ハンバーグサンドはハンバーグをBunと呼ばれるパンで挟んで食べる。両方で挟むから複数形でBuns なんだろうね。この写真のように分厚いハンバーグを挟んでいるバンズを更に口で挟んでということは考えられない。肉食系男子ならいざしらず、一般の人間、とりわけ女性にはそういう食事スタイルは不可能だ。
ハンバーグサンドの食べ方にはいくつかの流儀があるらしい。上から順序良く食べていく方法、フォークとナイフで切り分ける方法、モスバーガーなら袋ごと口に入れる方法、いずれにせよ自分なりの攻略方針を立てる必要がある。
私は上から順番に喰らう方法を選んだ。しかしせっかく一体化して整えられたものを、もう一度分解して食べるとなると検視官がハンバーガーの正体を調べているようで、果たしてそれが一番美味しい食べ方なのかどうか・・・。
料理は丁寧でとても美味しい。何よりも店内の雰囲気と窓からの眺めが良い。中心地に近い場所なのに落ち着いていてホットさせてくれる。
<タカズパーラー 久松>宮古島
2010年08月24日
タカズパーラーに行ってみてごらん、と知人が勧めるのでどんなところなんだって訊くとニヤニヤ笑って応えようとしない。探しながら行ってみると久松漁港の裏手の小高いところにある小屋のような建物で見た瞬間小さい頃の愛読書<ロビンソンクルーソー物語>を思い起こした。
分かりづらい場所だがふもとからはあちこちに小さな店の看板が目に付くのでたどり着くには困らなかった。来間島から久松漁港までを見渡す写真を撮るには絶好の場所だろう。
店全体がベランダ風であるが調理場は陳列棚に隠れていてテーブル席からは見えない。店の構造から当然エアコンはない。おそるおそる店の中に入っていくと10歳くらいの可愛らしい女の子がメニューを片手に近づいて来たので<お母さんは?>と訊くと身振りで奥に居ることを教えてくれた。奥といっても狭い店だから物陰と言うべきだろうか。
まぁいいかと考えて少女にソーキカレーを注文した。その後しばらく奥の方で何やらカタコトと音がしていたが、しばらくすると再びさっきの少女がソーキカレーを持って来てくれた。エアコンが無いのと傾きだした太陽の日差しがテーブルを直射するのとでカレーがキラキラ光って目がくらむ。タマネギをたくさん使って云々とあるがこれまで食べたことのない味のカレーだ。いち早くこの店を出たい気持ちがはやってしまったのか、カレーを片付ける途中でやっと写真を撮ることを思い出した。
なんとか片付けて少女に代金を払い終えると奥の方から女店主が<今日も暑いですネェ~>って登場してきた。裏庭からもぎ採ってきたばかりのバンシロウの実を両手に持っている・・・そりゃ暑いよ、エアコンなし、直射日光アリだもんね、そっちはバンシロウこっちは万死労だよ、色々こっちも熱くなってマンネン・・・少女から客の注文を受け取る、作ったカレーを少女に渡す、急いで裏庭に行ってバンシロウの実を採る、非常にゆっくりと店に戻る、帰り際になって初めてぬっと客の前に出てきて声をかける・・・うう~ん・・・こりゃ一体ナンだろう・・・
知人が笑いながら紹介してくれた意味をかみしめながら店を後にした。
<雅歌小屋 ブルースと演歌の殿堂>宮古島
2010年08月19日
超低空アンバランス不健全経営飛行を続ける雅歌小屋航空4971便。
今夜はわが国を代表する怪物バンド、ボロボロンズの定期ライブの日、中央で身を反らせて思い切りギターをチョーキングしているのがイイLoveちゃん。最高級ギプソンギターが泣けるような色気のある高音を絞り出す、イヤーいい感じのブルースを歌いあげていますね。
実はこれ殿様キングスの<涙の操>を歌ってるんです。
・・・貴方のために守り通した女の操・・・音楽ファンのために守り通した雅歌小屋の経営・・・いまさら何を・・・
ロック歌手より演歌歌手として世に出る可能性のほうが日に日に高まってきている。
<喫茶店ジュニア カツカレー>宮古島
2010年08月17日
宮古高校前の通りにあるこの店のカツカレーは地元ではかなり有名なのだ。宮古の人なら2人に1人は<喫茶ジュニア>と聞けば<カツカレー>と答えるだろう。普通のカレーの450円に僅か50円アップするだけで本格的なカツカレー500円に大幅にグレードアップするのだから客は当然カツカレーを注文する。店としてもおそらく最初からカツカレーを提供する意欲満々なのだろう。若い客の中には<カツカレー大盛り>ってのを頼む人もいる。
店内は落ち着いていて静かで凛とした空気が充満している。これぞ大正時代から昭和までの時代が生んだ典型的な喫茶店だ。床もテーブルも時間の流れというワックスで磨かれ渋く輝いている。音楽は当然クラッシクだ、今日はメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第一番が流れている。まさしく昭和の喫茶店はこうでなければならなかった。
あの時代に数多くあったこうした名曲喫茶店は携帯によるコミュニケーションスタイルの変化に伴いその必要性が乏しくなり、さらに人々がゆっくりコーヒーを飲むという心の余裕を失って徐々に姿を消してしまった。もう一度こういう喫茶店の時代が来て欲しいものだ。
カレーは美味しい、アイスコーヒーも予想通り申し分のない味だった。
カツカレーランチセット(ドリンク付) 650円
<レトルトカレー戦争 ボンカレーの報復戦>
2010年08月16日
均一料金の居酒屋戦争ほどでもないだろうがレトルトカレーの世界でも低価格競争と差別化競争が激化しているようだ。近頃の大手スーパーのプライベート商品は70円台に突入している。これらは失うものがないゆえに、何をしでかすか分からないゲリラ集団だ。
中堅どころのハウス食品やグリコ食品も100円前後という最も売れるボリュームゾーンを押さえようと新商品を投入してくる。これらは日本の家庭の現実を正確に把握しているようだ。家計に優しくまずまず満足するものを、つまりはコストパーフォーマンスの達人集団だ。
しかし、プライドの高いレトルトカレーも存在する。弱スパイス系の傑作<銀座カレー>は200円を超える。またこちらは購買層が狭いゆえだろうか老舗スパイス系<中村屋のカレー>は250円と他の商品群より高い。ツンとして他の仲間を眼下に見下ろして君臨している。この他に<道場六三郎カレー>などがあるが値段の割にはさほど美味しくない。
驚いたのはここに来てあの徳川幕府のように安泰に思えた<ボンカレー>がついに新製品を出したことである。商品は<ボンカレーNEO>とある。あれほど売り上げに貢献した山本富士子のエプロン姿はもうない。永谷園の三木のり平に次ぐ痛ましい惨事である。黙祷。
価格は<銀座カレー>と同等だ。相手を指名して打ちのめそうという腹だ。低価格商品の代名詞でレトルトカレーの世評身分制度では士農工商の更に下の身分にあって約半世紀国民からチョット愛され大いに軽んじられ、それを我慢し続けて来た超大御所が<テメーラ俺をなめるなよ、オドリャー、ガオーッ>って雄叫びを上げた気がする。これはエライことになった。我が国レトルトカレー史上最大の大戦乱が始まる。血で血を洗う応仁の乱だ・・・がこの続きは次回に・・・
<中華丼の極み 真丑>宮古島
2010年08月14日
以前のブログでアトールエメラルドホテルの中華丼を褒めたら<じゃぁオイラの中華丼を喰ってみろ>と言われたので早速店のメニューにはないが店長に特別許可をいただき作っていただいた。調理人は陳さんでも建さんでもなくマサルさんという中華専門の渡世人。
写真で分かるように具は豪華絢爛で餡もたっぷりで申し分ない。この美味しさは言語では表現不可能だ。オイスターソースやらナンやら秘密の調味料を加えて一般家庭では到底届かない美味の頂点に達している。
死ぬまでにこの中華丼に出会えて良かった。
<低空飛行の会>宮古島
2010年08月14日
<低空飛行の会>を主催しているのだが会員募集が行き詰っている。というより退会、夜逃げ、行方不明などで存亡の危機にある。<存亡の危機にある>仲間を集めた当然の帰結ともいえる。
強引に勧誘した新会員であるケンジも写真の通りのやる気の無さである。女性は副会長であるが逃亡の機会をうかがっているとの噂がある。
うーん・・・武田勝頼という戦国武将の名前が頭をよぎる。
<ため息酒場探索中>宮古島
2010年08月13日
人生も半ばを過ぎると楽しいことよりも寂しい事のほうが多くなる。居酒屋で隣の人と話が弾むということもメッキリ減ってくる。自然に独りでぼんやりと飲むことになる。
それはそれで良い。親指と中指で冷酒グラスを持ち上げてグイと飲む。これまでの人生を後悔しながら<ハァ>とため息をつく。これは飲んべえとしてはかなりカッコイイのだ。
問題はその環境だ。うるさい若者の中に混じって<ハァ>とやってもサマにならない。店内に流されている明るいBGMも神聖な儀式である<ハァ>の邪魔だ。
もっと場末が良い。傾いた赤提灯で行き詰って疲れたオッサンが独りでやっているようなカウンターだけの店が良い。今にも潰れそうな雰囲気になぜか心は癒される。サバ缶なんかをめんどくさそうに皿に乗せるのが良い。冷酒は当然二級酒辛口に決まってる。昭和枯れススキなんかがかすれた音で流れているのが良い。生まれた時が悪いのか~・・こんな女に誰がした~・・・自分の不幸を世の中のせいにする甘えた姿勢が酒を旨くする。失敗や裏切られたことに思いを巡らして<まぁ人生なんてそんなもんだ>って言い聞かせるのが良い。自分を責めていてはきりがない。飲むときぐらいは自分本位が許されるべきだ。
写真の店は郷家の隣にある小料理屋である。客が少ないので独り静かにぼんやり飲める。女将さんも年なので営業的な野心がない。早い時間ならこの店がお薦めだ。さてここが閉まると行く場所がない。どの店も<貴方に元気を与えたい>なんて張り切って疲れた客をいっそう疲れさす。元気を押し売られては孤独と寂寥感を味わえない。
<ヤシガニ 食材としての価値>宮古島
2010年08月12日
海ぶどう、ドラゴンフルーツ、ヤシガニはネーミングの勝利である。どれも今では観光客が有難がる憧れの特産品といえる。しかし、地元民はこの三つの食材をどれだけ評価しているだろうか?
海ぶどうが家庭の食卓に乗ることはまずない。はるかに美味しいモズクが優先される。それでも<ウァー海ぶどうダー>っと観光客は見慣れないぶどうの房のような姿に感激する。
また、海ぶどうはその実力以上に値段が高い。これもまたロマンチックな名称と見た感じのぶどうらしさに起因する付加価値であるに違いない。
ドラゴンフルーツはサボテンの果肉であってフルーツとはいえない。しかし、見た目は実に美味しそうな褐色をしている。そこでフルーツという名称を思いついた人がいたのだろう。観光業界の殊勲賞を与えるべきだ。
甘味も薄く酸味も乏しく味気ないとはこの果実のことだろう。だからこれも地元の家庭の食卓にはめったに乗らない。たまは他人からもらったときくらいである。それでスーパーでは安売りされている。今後、この食材を工夫して人気のお土産に昇格させれば大当たりするだろう。
さてヤシガニだがこんなものを食卓に出す家庭は絶対にないと断言できる。<今日はヤシガニ料理があるから早く家に帰るんだよ>こんなことを子供に言う親はキチガイである。ヤシガニを一緒に食べようと誘う友人も考えられない。じっと睨まれると震え上がる。強盗強姦放火殺人の目つきだ。
味はカニと無縁だ。ヤシガニはヤドカリ類でカニとは別物だ。島中どこにでも居る。中心地の住宅地の道路で踏み潰されている写真がその証拠だ。爪が異常にデカイから美味しそうに思えるのはカニのイメージと混同しているからだ。これほど下品な味も少ない。戦時中の食料難の時代に貴重な蛋白源だったことは分かるが今は蛋白源から観光資源に変わっただけのことである。知人に一人だけ<ヤシガニは美味しい>と主張する人がいるが彼は観光客相手のヤシガニ料理店を経営しているから信用できない
何千円も払ってヤシガニ料理を食べるのは所謂ミーハーの好奇心である。
<まなつ 茶音間スパイスカフェ>宮古島
2010年08月11日
ワサビ、ネギ、生姜どれも和食には欠かせない薬味である。これらは保存が効かない。粉ワサビ、乾燥ネギ、チューブ入り生姜などがあるがあれは別物だ。なんちゃってワサビ、なんちゃってネギ、なんちゃって生姜なのである。ワサビの抜けた寿司、ネギの欠けた味噌汁、生姜のない冷麺、どれも失格であろう。かといってファミレスでカバンの中から薬味を取り出してパッとかけたらキチガイだろう。
保存が効かないので数時間放置しておくだけで劣化し、威力は半減だ。それでこだわる店では直前にスッたりキザまなければならない。チューブ入りのワサビや生姜のマズイこと・・・。
例えば、寿司屋で刺身盛りを頼むと刺身を皿に盛った後、客の面前で本ワサビを誇らしげにゆっくり擦って盛り付ける。本ササビが乗ったらもうその後の修正は一切ご法度だ。それほど薬味は鮮度が命だ。
さて茶音間スパイスカフェのカレーだ。狩俣線をずーと狩俣に向かっていくとまなつという部落がある。その道路沿いにこの店はある。店の反対側の駐車場で車を降りるとスパイスの良い香りがあたり一面に漂っている。店内に入るとスパイスをスリおろすコリコリという音が聞こえてくる。
カレーとドリンクとマンゴープリンを頼もうとしているとセットメニューがお得ですよと教えられた。なるほど単品で頼むより随分割安だ。こういう親切が嬉しい。
切れ味の良いスパイスカレーも濃厚な果実の塊のマンゴープリンも実に美味しかった。安いし旨い、小さな店だから外で待つリスクもあるがこれなら遠くまでやって来た甲斐がある。
カレー+マンゴープリン+ドリンクセット 830円
<味の宮古 カツ丼(Aロース)> 宮古島
2010年08月10日
弟三給油所隣にある地元志向の食堂。給油所の直営かと思っていたが同族経営ではあるが経営者は別々らしい。 そんなことはどーでも良いが壁に貼ってあるカツ丼にわざわざAロースと書いてある。これが店にとっても客にとっても重要な意味を持つらしくて気になる。が、一般人にはその言葉の有難さが伝わらない。なる程といえる簡単な説明が欲しいところだ。
後で友人に聞くとそれは部位の違いだそうだ。Aロースの方が脂が少なくカツには向いているらしい。Bロースは生姜焼きなんかに向いているそうだ。もしかするとAロースの方が仕入れ値が高いのかもしれない。美味しければAでもBでもどちらでも良い。
店内は広く開放的で気楽な雰囲気が良い。カツ丼は美味しいが店が訴える<Aロース>へのこだわりは今ひとつ感じられない。肉質も大切だがそれ以上に肉厚の方も重視してくれ。細かいことだが刻み海苔と紅生姜が乗っている、これはとても嬉しい。
余計なオセワだがセロハンテープでのメニューの補修はそろそろ限界にきている、取り替える時期だろう。
カツ丼(Aロース) 580円
<がんずうカレー 本格派>宮古島
2010年08月09日
カレースープだけなら300円で売ってくれる。とても良心的な値段なので地元の人にも広がるかもしれない。帰り際にヨーグルトのカップをオマケに付けてくれた。
チキンカレーライス付 470円
<スムージー カレーライス>宮古島
2010年08月09日
田舎民宿で有名な津嘉山荘に隣接している。席に着いて店内を見回しても壁に値段表示がない。離れたテーブルに置かれてあるメニューに手を伸ばして見るとカレーはドリンクとのセットメニューだけである、830円。
まぁいいかと思っていると<おすすめはスムージーセットです>と別の小さなメニューを差し出されだ。 ナルホドナルホド・・こちらはシークァーサースムージーとのセットだ。シークァーサーならこちらも良く知っている。こちらは沖縄在住30年以上だ。もしかしたら店主より宮古島のことは知っている。現地人としては当然こう思う・・たかがシークァーサーだろう・・と、<今の実が落ちるとこのセットは終了です>と念を押してきた。ここだけ・・今だけ・・グットくる・・
そこでドリンクは放棄してお薦めのスムージーセットに乗り換えた。 カレーは普通の和風カレーだ。少しハヤシライスのようでもある。揚げたニンニクは乗せただけなのでカレーの味とは無関係だ。売り物のスムージーの方はシークァーサーかき氷と呼ぶ方が理解が早い。分かりにくい横文字を使う必要は無い。演出された田舎生活に憧れる観光客向けの店のようだ。
油揚げニンニク1個付き和風カレー+シークァーサーかき氷セット
※ドリンク無し セット価格 1300円
<そば太郎 昼夜兼業>宮古島
2010年08月08日
下里大通りボックリー交差点より南に100mの場所、昼のランチタイムには<そば太郎>夜は居酒屋<タンディがタンディ>という二つの顔を持つお店。 他人ごとだが夜の営業をする店が翌日のランチを提供することはとても大変だろう。スープに時間がかかる宮古そばなら更に負担は増すだろう。
話は変わるが日本そばの通の方々の麺へのこだわりに比べれば沖縄そばの通が示す麺そのものへの執着心はなきに等しい。かくかくしかじかの産地のそば粉をこのようにして打ちまして・・・などという能書きは出てこない。あの店のそばは美味しいとは言ってもどこの製麺所なのか気になる人は少ないと思う。たとえば地元で有力な3業者<古謝製麺><久松製麺><ハワイ製麺>の各麺を目隠しでピタリと当てる自信のある人は何人いるだろうか?
そう考えると今後の宮古そばの麺の発展性、将来性は未曾有である。そば屋さんが昼夜兼業で体力的に行き詰った時には年齢、門地、性別、資産、知能、容姿、趣味、人格、滞納税額、悪い癖、持病、離婚回数、犯罪暦にかかわらず誰もが参入できる自家製麺で一発勝負を考えてはどうだろうか?
ソーキそば 580円
<サムライキッチン ホルモン焼き>宮古島
2010年08月07日
ホルモン焼きに誇りと自信があるみたいだ。注文を聞くとお店の女性がしゃがみこんで何やらパタパタとウチワであおぎはじめた。日焼けした笑顔で<今日はすごく暑いですネ~>と声をかけてくれた。私も<イヤー参いっちゃいまいますね~>とか生返事。声を掛けられたことで気が良くなって冷えたビールをぐいと飲む。飲むと急に元気が出てきてカウンター越しにパタパタしている女性に<それって何やってるんですか?>と私。<今,火をおこしているんです>と忙しそうな女性。そうか炭火でホルモン焼いて出してくれるんだな。
と思っていると<ハイ、どーぞ>と大ぶりのホルモンの乗った皿と一緒に赤々とした七輪が目の前に置かれた。<エッツ?>
蒸し暑さで死にそうな夜だというのに客が七輪でホルモン焼くんですか?喧嘩売ってんじゃないよね?古びた扇子があるけどこれって気休め?客をからかっちゃいけないよ~
ヤレヤレ、脂の乗った丸長ホルモンからしたたる脂は炎を立ち上げホルモンと私の顔を焦がした。ジュッと音がして炎とともに美味しそうな煙が立ちこめ私の身体をスモーク状態にしていく。途中から一緒に飲み始めた店主のハタボーさんも一緒になって七輪から炎があがるのを無言で眺める・・・火の手がパーと大きくなるとハタボーさんは落ち着き払って肉片を隅っこに避難させる・・その落ち着きがしゃくにさわる、がサムライ精神でじっとこらえる。
思わず<生ビールもう一杯>、こうなっては生ビールを追加注文してせめて胃袋だけでも冷やすしか生きる道はない。
かなりの量を飲んでいた。どうもこれは店側の策略にハマッタか・・・それにしてもこの店のホルモンは旨かった。今夜また友人を誘って行くことにしよう。秋になるのが楽しみだ。
~Thanks~ 生ビール400円 セルフ焼き作業負担付きホルモン600円
<歓楽街の陥落 イーザト衰退の原因>宮古島
2010年08月06日
20年ほど前に遡ればイーザトの飲み屋街は男どもの威勢の良い歓声で活気に満ちていた。皆、胸を張り大手を振って何件も飲んで回ったものだ。飲み屋はどこも繁盛し経営者は潤っていたはずだ。
しかし、その後、年老いていく人間のようにこの一帯もズルズルと衰退を続けてきた。現在では地元の人なら誰でも認める数軒の店以外は存亡の岐路に立たされている。
不況で小遣いが無いとか飲酒運転の取締りの強化であるとかも影響は大きいと思うが、もっと根源的な最大の原因は当時の常連の高齢化が進む一方で次の世代の若者を取り込めないことにあるのではないだろうか。
今日では<No Music No Life>を信条とする若者が急増している。この音楽世代の若者はipodで音楽に浸り音楽と共に生活することを生きがいに感じ、空騒ぎのお笑いタレントにも関心は無く、愚者の楽園たるテレビ業界をも見放しつつある。
こうした生活スタイルを自立させた若年層はいくら女好きだからといっても、オトーリとカラオケでしか接客できない美人?ホステスの店に入り浸るほどダサくはない。
高いお金を払ってホステスを口説くという飲んベえのスタイルが次の世代に継承されずに途絶えていく。
・・・幾多の客は往来し時は移れど船頭は・・・行く川の流れは絶えずして・・・夏草や・・・嗚呼・・・