海風の記憶、宮古島バイクツーリング

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<宮古島移住者の急増>キョー兄ィ

2010年11月01日

 私は1976年に学生時代を過ごした東京から那覇に移住し、沖縄本島で何回か失敗を繰り返した後、行き先に迷いながらもボストンバッグ一つで宮古島に流れ着いた。それは1981年の春のことだ。たしかランボーも言ってるよね<困ったときには南に向かへ>って。
 その当時の宮古島には私のようなヤマトンチュは数えるほどしかいなくて随分可愛がっていただいた。今思えばこの時期の深い愛情があってこそオトーリを完全に習得することが出来たと感謝している。
 今日では毎日のように本土からの移住者が来島しているようで、知り合いの不動産屋さんの話ではナイチャー抜きには宮古島のアパート経営は成り立たないそうだ。
 このように書くと私の頃が最初の移住者でその後、徐々に増えてきたように思うかもしれないが、宮古島の歴史をよく調べてみると実はこの島を代表する実業家の多くが、何代か遡れば沖縄本島や本土から移り住んだ人々であることが分かる。
 張水港が海洋交易の拠点であった頃の話だが、砂糖や衣類や海産物など様々な物品を扱う商人たちがこの島に住み着くようになり、彼らが港から近くの西里通りに小さな店舗を連ねたのがこの街の繁華街の始まりだ。その中には昔は盛んだった密貿易で巨利を得た人もいたに違いない。
 おそらく宮古に移住してきている今の人達もその子供や孫の代になれば、彼らは完全に宮古人として生活していることだろう。<ばんたが宮古島>とか<最近のナイチャーはどうも・・>とか言ってるかもね。
※ ふと思う出したが以前<ばんたが宮古島>というフリーペーパーがあった。準備号、創刊号、最終号の全部で3冊をこの世に出した宮古初の商業フリーペーパー・・・編集者兼発行人はあの挫折の名人〇〇さん、このことについては近日中に書くからね。


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Posted by キョー兄ィ at 18:46│Comments(0)暮らし
 
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